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obscur

銀幕の幻惑


沈黙 Tystnaden イングマール・ベルイマン 1963|96分|スウェーデン

監督・脚本:イングマール・ベルイマン


有名な児童文学でアーシュラ・K. ル=グウィンの『影との戦い』という本があるが、私の日常は「睡魔との戦い」と言っても過言ではない。とにかく眠い、たくさん寝ても眠い。日中の労働先で、夜遅いオンライン会合で、電車に揺られながら、もしくは月の周期の影響で。傍目には分かりにくい水面下の戦いではあるが、脳に直接麻酔を注入されたような眠気に抵抗しつづけるのはなかなか難儀なことで、大きな病気や身内の不幸のように深刻な問題ではないとしても、自分にとっては日々直面しているトリビアルな悩みのひとつとなっている。

半睡のまなこで見ればこの世の実在もすべては蜃気楼の揺らめき。そんな幻想をもつ自分だからこそ睡眠レビューの書き手には適任かもしれず、「REM(REviews in Movies)」の依頼を頂いたときは思わず二つ返事で引き受けてしまった。しかも、依頼を頂いたのは、ひそやかに活動しているという、いまだお会いしたことのないアーティストからである。実在が不確かな誰かからの突然のメール自体、まるで夢の国からの案内状のようではないか。けれど残念ながら、肝心の映画館に行けるだけの活力がいまの私にはない(現在進行形で眠い)。というわけで、最初のレビューは過去に映画館で寝てしまったときの経験を覚え書き程度に記しておきたいと思う。


2018年、恵比寿のガーデンシネマでイングマール・ベルイマンの特集上映があった。ベルイマンはもっとも敬愛する映画作家のひとりだ。ベルイマンの作品が銀幕で見られるとあれば、出不精の自分も出掛けないわけにはいかない。観た映画は「冬の光」(1963)、そして「沈黙」(1963)。どちらも「神の沈黙」三部作に数えられる名作であるが、この二作を選んだのは三部作の作品だからという理由ではなく、せっかく銀幕で見るならモノクロ時代のベルイマンの映像美を大画面で堪能したいと思ったためだ。

しかし、「沈黙」を見ている最中、あっさりと映画館に棲む睡魔の誘惑に陥落してしまった。しかも映画の筋を把握するのに問題ないような短時間の睡眠ではなく、頭の奥が痺れるような思考麻痺と脈絡のない幻像が間歇的に訪れる厄介なタイプの睡眠。映画館でモノクロ映画を見ていて眠くなるのは、やはりスクリーン上でチラつく幻惑的な白銀の微光が、眼球を通り越して脳の奥の奥まで浸透してしまうからだろうか。


レビューとしての体裁を保つため、映画の内容にも少しだけ触れておきたい。「沈黙」の大まかな筋は、翻訳業に携わる知的な姉と、性的に奔放なシングルマザーの妹とその息子が、言葉の通じない異国のホテルに逗留するというものだ。ホテルの外では戦車が不穏に徘徊しており、この土地が冷戦下の共産圏であることが示唆されるものの、物語のなかでは社会情勢や姉妹が置かれた状況についての説明はほとんど成されない。物語は非叙述的に進行し、読み解きがたい象徴を交えながら、姉と妹の潜在化された確執を次第に浮かび上がらせてゆく。


ところで私が眠ってしまったのは、妹の子ども(まだ幼く、小学生くらいの年齢に見える)が、人影ひとつ見当たらない閉塞的なホテルの廊下をひとりで探索し、小人の旅芸人一座がいる一室に迷い込んでしまうシーンだった。台詞がまったくないシーンというせいもあり、おそらく実際の尺以上に探索の場面が冗長に感じられ、私の意識が子どもと一緒にホテルの回廊のなかに迷い込んでしまったのだ。この場面で、意識はしばらく気怠い浮沈を繰り返していた。ほぼ無音のシークエンスが、美しく仄めく画面と相俟って、私の睡眠を瀟洒なビロード質へ変成させてくれたように思う。


映画のラストシーン、病気の姉をホテルに残して妹とその息子は列車に乗り込む。息子は姉から渡された紙切れーーそこには彼女らが逗留したその国の言葉で「精神(ハジェク)」と書かれているーーを手中にしている。紙切れの言葉はどこからやってきたのだろうか。言葉の通じない異国と夢の空間がもし親和性をもつのだとしたら、その言葉は翻訳家である姉を媒介として、夢の空間の奥底からやってきたとも言えるのではないか。沈黙と睡眠は極めて相性が良い。


映画館における眠り。それは必ずしも心地よい休息と微睡みを約束するものではなく、失神に似ていて、身体の疲労回復にも貢献するものではないが、布団のなかで見る夜の夢とは別の位相で見る者にファンタスマゴリーを供する。眠りながら映画を観るあいだ、私たちは二重数重のイメージを生き、麻痺と失神のなかでいくつもの小さな死を疑似体験するのだ。


追記:

これを書いている現在、強烈な睡魔が訪れた。ふたたび「沈黙」を見よとの啓示かもしれない。醒めた意識で「沈黙」を観れば、曖昧な記憶も補完され、また異なる映画体験をもたらすだろう。


映画鑑賞日:2018年8月18日(恵比寿ガーデンシネマ)






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