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グラスの濡れ跡|「メッセージ」と「自転車の車輪」

原題:Arrival

2016|116分|アメリカ

公開:2016年11月11日(米国)、2017年5月19日(日本)

監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ|脚本:エリック・ハイセラー

原作:テッド・チャン「あなたの人生の物語」

出演:エイミー・アダムス、ジェレミー・レナー、フォレスト・ウィテカー、マイケル・スタールバーグ



私たちが、電車や飛行機でよく眠ってしまうのは、身体は静止しているのに別のレベルでは移動しているという夢の状態に近いからかもしれません。長時間の滞在となる飛行機での映画鑑賞は、最も睡眠が伴う場所でしょう。

数年前の海外への渡航の際、英語に慣れることを期待して、字幕なしで映画「メッセージ」を鑑賞しました。旅路の準備での寝不足、そして英語への理解が追い付かず、うとうとしながら見ていたのですが、どうやら宇宙人の言葉を解読することがミッションのようです。映画の中の英語を解読する私の状況と似た設定に面白さを感じ、思いのほか映画に惹かれたのですが、結局は眠ってしまいました。帰りの飛行機でもまたこの映画にチャレンジし、再び眠ってしまうのですが、その際に映画の影響色濃い夢を見ることになります。


グラスの濡れ跡


私は異国の地で喉を乾かせ、バーでコーラを注文します。ガラガラな店内で休んでいると、前のテーブルの上にいつの間にか円形に濡れたグラスの跡が幾つかあります。誰かが近くに忍び寄っているように感じ、あたりを見渡しますが誰もいません。少しすると急に店内が混み始め、男女4人がやってきて相席を頼まれます。4人はビールグラスをちょうどその濡れ跡の上に置きます。ああ、このグラスの跡だったのかと納得し、そして私が彼らの席に座ってしまったように思いはじめ、気まずさからコーラを飲み干し店を出ます。歩きながらあのテーブルの濡れ跡が気になりはじめ、写真を撮りに戻ることにしました。すぐに戻ったつもりが、店には誰もいなくなっており、テーブルには濡れた跡もなく、代わりに濡れ跡が染み込んだ厚紙のコースターが十枚近く置かれています。コースターに刻まれた跡は美しく、持って帰ることにしました。


ホテルでのチェックインの際、この国の言語は単語の綴りにローマ字に混ざって数字も一緒に並ぶ奇妙な言語であることに気づきます。湧いてくる疑問の中で、ゼロ「0」とオー「O」の区別で困らないのかと尋ねてみました。受付の男性は、文字にはそれぞれ色のイメージが伴っていて、並びによって生じる色彩の感覚があるから大丈夫だと説明されます。ランボーの詩「母音」* を思い浮かべ、なんとなく納得していると、今度は彼が日本語についてあれこれ質問してきます。やりとりのなか、私はゼロ「0」やオー「O」のような円形の文字が日本語にはないのを不思議に感じていると話すと、いや日本語にもあったぞと彼は言います。それがどういった文字なのか説明されるのですが、どういうわけか急に相手の言語が理解できなくなり、私は話を切り上げ、部屋に移動することにしました。部屋に着き、先ほどのコースーターを観察してみようとベットに広げてみると、どのコースターも乾燥して濡れ跡がなくなっています。落胆するなかで、それぞれのコースターにはカラフルな模様が印刷されていることに気づきます。これは回転させると良いのではないかと思い、駒のように回してみると模様が発光しはじめ、催眠効果のようになって眠ってしまったのでした。


0


この映画で言語学者の主人公が解読しようとする言語は、タコのような宇宙人が墨を吐くように空中に描く円形の文字です。ダイナミックな筆さばきの墨で描いた禅画のような円。このイメージが、グラスの濡れ跡の夢へと繋がったようです。私は、この文字を面白いと思うなかで、だんだん英語の解読から逃げはじめ、この円形の文字、そして横道へ逸れ自身の身の回りの文字についての解読ゲームのような思考になってしまいます。ローマ字を使う言語では、二種類の円形の文字、ゼロ「0」とオー「O」の扱いで困らないのだろうか?そういえば日本語には円形の文字はないのだろうか?などといった考えが、夢で再演されたのでした。さらに駄洒落のような考察を学者気取りに展開していきます。漢字の「丸」の棒を一つ減らすと「九」になるが、これは0「丸」より一本少ない9「九」になる、といった関係ではないか。さらに9「キュー」は円形の「球」だし、ローマ字の「Q」とも同じ音。Qの場合は逆に「0」より1本多い。(語源をググってもそんな話はないようでした)


…6、7、8、9(九/球/Q)、0(丸/十)、1(一)…



二度目の鑑賞も眠ってしまいましたが、それでも断片的な記憶が集まり、この宇宙人の言語が単線的時制ではない未来と過去をも同時に捉えるような高次の言語であることがわかってきます。そして、この高次の言語をモチーフにし、製作者たちが映画の単線的な構造を円環のような物語にしようとしているのだと推測できます。そういった時間のあり方への工夫はSFやミステリーといった多くの映画の主要テーマのひとつと言えるでしょう。とはいえ物語の程を維持した中で、数字の並びを工夫するパズルや物理学の理論を聞くような域を出ないことが大半に感じます。この宇宙人が推奨していることは、線的(映画的)な言語(構造)での工夫ではなく、非線的(美術的)な言語(構造)への飛躍です。そして、そのような飛躍には映画内での工夫よりも、鑑賞中における睡眠がもってこいではないでしょうか。


空転


禅画のような宇宙人の墨絵に、吉原治良や田中敦子、ケネス・ノーランドの絵を思い浮かべていたのですが、夢のあのコースターの出自は、円形の厚紙を回転させると三次元的に見えるマルセル・デュシャンの「ロトレリーフ」(1935/53)のイメージが大きいように思います。このロトレリーフの回転を撮影しただけのような映画「Anémic Cinéma」(1926|タイトルは反対から読んでも同じような綴り)は最も脱時間的な映画と言えるかもしれません。



そして、それらの回転する作品の大元の「自転車の車輪」(1913)が、あの宇宙人の高次の言語にとって、一番参照すべきものかもしれません。デュシャンは椅子の上に自転車の車輪を反転させて設置し、車輪が空転するのを眺め「まるで暖炉の火を眺めているときのように和やかな気分」になっていたと語ります。速度によるスポークの変化や車輪の影の揺らめきが効果的なのかもしれません。そして影はデュシャンにとって異なる次元を投影するもののようです。


そんな暖炉のようなあり方とは裏腹に難解な作品の代名詞となったデュシャンの作品ほど解読の対象となり、多様な解釈が展開され続けているものはないことでしょう。ゼロ「0」のような円形の形態で空っぽさと多義性に満ちたこの車輪の在り方は宇宙人の言語が目指すものと近いものかもしれません。車輪が回転運動をしながらも、移動することなくそこに留まり続け、静止しているように見える構造。それは目や頭は活発に動きながらも身体は静止している睡眠と同じように、イメージ(夢)と休息を鑑賞の度にもたらすのです。



ひとまず書き終えたこの文面を見直す中で、日本語にも円形の文字があることに気づきました。それは文章中で一番使われている文字かもしれません。ホテルの受付の人が言っていたのは句点の「。」ではないでしょうか。音のない文字。終わりの文字です。


* 「母音」アルチュール・ランボー

Aは黒、Eは白、Iは赤、Uは緑、Oは青、母音たち、 おまえたちの穏密な誕生をいつの日か私は語らう。 A、眩ゆいような蠅たちの毛むくじゃらの黒い胸衣は むごたらしい悪臭の周囲を飛びまわる、暗い入江。

E、蒸気や天幕のはためき、誇らかに 槍の形をした氷塊、真白の諸王、繖形花の微かな震え、 I、紅色の布、飛散つた血、怒りや また熱烈な悔悛におけるみごとな笑い。

U、循環期、鮮緑の海の聖なる身震い、 動物が散在する牧養地の静けさ、錬金術が 学者の額に刻み付けた皺の静けさ。

O、至上なラッパの異様にも突裂く叫び、 人の世と天使の世界を貫く沈黙。 ――その目、紫の光を放つ、物の終末!


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